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「妖怪名彙」柳田國男

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 畏怖と信仰との関係を明らかにしてみたいと思って、いわゆるオバケの名前を集め始めてから、もう大分だいぶんの年数になる。まだ分類の方法が立たぬのも、原因は主として語彙ごいの不足にあると思うから、今少し諸君の記憶にあたってみたい。あるいは時期が既に遅いかも知れぬが。
 分類には二つの計画を私はもっている。その一つは出現の場所によるもの、これは行路・家屋・山中・水上の大よそ四つに分けられる。行路が最も多く、従って又最も茫漠ぼうばくとしている。第二には信仰度の濃淡によるものだが、大体に今は確信するものが稀で、次第に昔話化する傾向を示している。化物があるとは信じないが話を聴けば気味が悪いというものがその中間にいる。常の日は否認していて、時あって不思議を見、やや考え方が後戻りをするものがこれと境を接している。耳とか目とか触感とか、又はその綜合とかにも分けられるが、それも直接実験者にはつけないのだから、結局は世間話の数多くを、大よそ二つの分類案の順序によって排列してみるの他はない。要するにこれは資料であり、説明というものからは遠いのだが、出所を掲げておけば後の人の参考にはなるだろう。どうかこれに近い話があったら追加してもらいたい。

シズカモチ 下野益子しもつけましこ辺でいう(芳賀郡郷土研究報)。夜中にこつこつこつこつと、遠方で餅の粉をはたくような音が人によって聴こえる。その音がだんだんと近づくのをき込まれるといい、遠ざかって行くのを搗き出されるといい、静か餅を搗き出されると運が衰える。搗き込まれた人は、後手うしろでに出すと財産が入るともいう。あるいは又隠れ里の米搗きともいい、この音を聴いた人は長者になるという話もあった。摂陽郡談、摂津打出の里の條にもある話で、古くから各地でいうことである。
タタミタタキ 夜中に畳を叩くような音を立てる怪物。土佐ではこれをたぬきの所為としている(土佐風俗と伝説)。和歌山附近ではこれをバタバタといい、冬の夜に限られ、続風土記には又宇治のこたまという話もある。広島でも冬の夜多くは西北風の吹出しに、この声が六丁目七曲りの辺に起こると碌々雑話に見えている。そこには人が触れるとおこりになるという石があり、あるいはこの石の精がなすわざとも伝えられ、よってこの石をバタバタ石と呼んでいた。
タヌキバヤシ 狸囃子、深夜にどこでともなく太鼓が聞こえて来るもの。東京では番町の七不思議の一つに数えられ(風俗画報四五八号)、今でもまだこれを聴いて不思議がる者がある。東京のは地神楽の馬鹿ばやしに近く、加賀金沢のは笛が入っているというが、それを何と呼んでいるかを知らない。山中では又山かぐら、天狗囃子てんぐばやしなどといい、これによって御神楽おかぐら岳という山の名もある。
アズキトギ 又小豆洗いとも、小豆さらさらともいう。水のほとりで小豆あずきぐような音がするといい、こういう名の化け物がいて音をさせるともいう。その場処はきまっていて、どこへでも自由に出るというわけでない。大晦日おおみそかの晩だけ出るという処もある(阿哲)。あるいはむじなの所行といい(東筑摩)、又は蝦蟇がま小豆磨あずきとぎに化けるともいう(雄勝)。不思議はむしろその分布の弘い点にある。西は中国、四国、九州、中部、関東、奥羽にもおらぬという処はほとんとない。なにゆえに物は見もせずに、磨ぐのを小豆ときめたかも奇怪である。あるいはこの怪を小豆磨ぎ婆様、又は米磨ぎ婆と呼ぶ例もある(芳賀)。信州北佐久郡の某地の井では、大昔荒神こうじん様が白装束しろしょうぞくで出て、
   お米とぎやしょか人取って食いやしょかショキショキ
といいながら、米を磨いでは井の中へこぼしたと伝え、今でも水の色の白い井戸が残っている(口碑集)。この言葉も全国諸処の小豆磨ぎの怪が、口にするという文句であってその話の分布もなかなか弘い。
センダクキツネ 洗濯狐。夜になると水の岸に出て、ざぶざぶと物を洗う音をさせる怪。遠州西部ではその作者を狐ときめている(静岡県伝説昔話集)。
ソロバンボウズ 路ばたの木の下などにいて、算盤そろばんをはじくような音をさせるから算盤坊主(口丹波口碑集)。
コナキジジ 阿波の山分の村々で、山奥にいるという怪。形はじじだというが赤児あかごの啼声をする。あるいは赤児の形に化けて山中で啼いているともいうのはこしらえ話らしい。人が哀れに思って抱き上げると俄かに重く放そうとしてもしがみついて離れず、しまいにはその人の命を取るなどと、ウブメやウバリオンと近い話になっている。木屋平の村でゴギャ啼キが来るといって子供をおどすのも、この児啼爺のことをいうらしい。ゴギャゴギャと啼いて山中をうろつく一本足の怪物といい、又この物が啼くと地震があるともいう。
カイフキボウ 備前和気郡の熊山古城址にいたというもの。声は法螺ほらの貝を吹くようでりかを知らず、そのかおを見た者もない。土地では貝吹坊と呼んでいた(東備郡村誌巻四)。
コクウダイコ 周防の大畠の瀬戸で旧六月の頃に、どことも知れず太鼓の音が聴こえる。これを虚空太鼓こくうだいこという。昔宮島様のお祭の日に、軽わざ師の一行がここで難船して死んでからという(郷土研究一巻五号)。
カワツヅミ 信州の小谷地方では、川童かっぱは人を取る二日前に祭をするのでそのつづみの音が聴こえるという。それを川童の川鼓かわつづみといって大いに怖れる(小谷口碑集)。
ヤマバヤシ 山中で深夜どこともなく神楽かぐら囃子はやしがすることがある。遠州阿多古ではこれを山ばやしといい、狸のわざとしている。熊村では日中にもこれを催すことがあって、現に狸が腹鼓はらつづみを打っているのを見たという者さえある(秋風帖)。
タケキリダヌキ 竹伐狸。夜分竹を伐る音がする。ちょんちょんと小枝を払う音、やがて株をき切ってざざと倒れる音がする。翌朝往って見ると何事もない。丹波の保津村などは竹伐狸のわざといっている(旅と伝説一〇巻九号)。
テングナメシ 普通には天狗倒というが陸中上閉伊へい郡などは天狗なめし、ナメシの語の意味は不明である。木を伐る斧の音、木の倒れる葉風の感じなどもあって、翌朝その場を見ると一本も倒れた木などはない(遠野物語)。
ソラキガエシ 天狗倒しのことを福島県の田村郡、又会津でもそういっている。鹿児島県の東部でも空木倒しという。斧の音、木の倒れる音はして、地に着く音だけはしないと前者ではいい、他の一方でもまるで木を倒す通りの音をさせるが、たった一つ材木の端に牛の綱を通す穴をあける音だけはさせぬので、真偽を聴き分けることができるという。その音のする場所は一定している。
フルソマ 土佐長岡郡の山中で、古杣ふるそまというのは伐木に打たれて死んだ者の霊だという。深山で日中もこの声を聴くことがある。始めに「行くぞう行くぞう」と呼ぶ声が山に鳴り渡り、やがてばりばりと樹の折れる響。ざアんどオンと大木の倒れる音がする。行って見れば何の事もない(郷土研究三巻四号)。
オラビソウケ 肥前東松浦郡の山間でいう。山でこの怪物に遭い、おらびかけるとおらび返すという。筑後八女郡ではヤマオラビという。オラブとは大声に叫ぶことであるが、ソウケという意味は判らぬ。山彦やまびことは別であって、これは山響きといっている。
ヨブコ 鳥取地方では山彦すなわち反響を呼子又は呼子鳥という(因伯民談一巻四号)。何かそういう者がいてこの声を発すると考える者もある。
ヤマノコゾウ 伊豆賀茂郡では山彦を山の小僧という。駿河でも山の婆々、遠江には山のおんばアという名もある。山彦という名も山の男ということだから元は一つである。あるいはこれを又アマンジャクという土地も関東にはある。天の邪鬼とも書いて、人の意に逆らう悪徳をもつというのも、やはりこの山中での経験ではなかったかと思う。サトリという怪物があって人の心中を見抜くという昔話も、起りは口真似からそういう想像に走ったのであろう。
イシナゲンジョ 肥前江ノ島でいう海姫、磯女などの同系らしい。五月もやの深い晩に漁をしていると、突然に岩が大きな音をして崩れ落ちるように聞こえる。次の日そこに行って見ても、何の変ったこともないという。
シバカキ 夜分に路傍で石を投げる怪物だという(玉名)。シバは多分短い草の生えた処のことで、そこを引っ掻くような音もさせるのであろう。
スナカケババ 奈良県では処々でいう。お社の淋しい森の蔭などを通ると砂をばらばらと振り掛けて人をおどす。姿を見た人はないという(大和昔譚)のに婆といっている。
スナマキダヌキ 砂撒狸は佐渡のものが著名であるが、越後にも津軽にも又備中阿哲郡にも、砂まきという怪物がいるといい(郡誌)、越後のは狸とも又いたちの所属ともいう(三條南郷談)。筑後久留米の市中、又三井郡宮陣村などでは佐渡と同じに砂撒狸と呼んでいる。利根川中流のある堤防の樹でも、狸が川砂を身にまぶして登っており、人が通ると身を振って砂を落したという話が残っている(たぬき)。
コソコソイワ 備前御津郡円城村にこの名の岩がある。幅五尺ほど、夜分その側を通ると、こそこそと物いう音がする(岡山文化資料)。
オクリスズメ 山路を夜行くとき、ちちちちと鳴いて後先を飛ぶ小鳥がある(南紀土俗資料)。声によって蒿雀あおじかという人もあるが、夜飛ぶのだから鳥ではあるまい(動物文学三三号)。那智の妙法山の路にも以前はよく出た。紀州は一般に、送雀が鳴くと狼がついて来るといい、又は送狼おくりおおかみがついているしらせだともいう(有田民俗誌)。伊予の南宇和郡では、ヨスズメという一種の蛾がある。夜路にあるけなくなるほど飛んで来ることがある。そのヨスズメは山犬のさきぶれだという(南予民俗二号)。
オクリイヌ 又送狼ともいうも同じである。これに関する話は全国に充ち、その種類が三つ四つを出でない。狼に二種あって、旅犬は群をなして恐ろしく、送犬はそれを防衛してくれるというように説くものと、転べば食おうと思っていて来るというのとの中間に、幸いに転ばずに家まで帰り着くと、送って貰ったお礼に草鞋わらじ片足と握飯一つを投げて与えると、飯を喰い草鞋を口にくわえて還って行ったなどという話もある(播磨加東)。転んでも「先ず一服」と休むような掛声をすればそれでも食おうとしない。つまり害意よりも好意の方が、まだ若干は多いように想像せられているのである。
ムカエイヌ 信州下伊那郡でムケエイヌという狼の話は、更にいちだんとこの獣の性質を不明にしている。送り狼のように跡からついて来るのでなく、深夜山中で人の来るのを待ち受け、人が通り過ぎるとその頭上を飛び越えて、又前へまわるなどといっている(下伊那)。多分送犬の信仰が衰えてからの分化であろう。
オクリイタチ 伊豆北部でいうこと。夜間道行く人の跡について来るという。草履を投げてやればそれからはついて来るのを止めるともいう(郷土研究二巻七号)。
ベトベトサン 大和の宇陀郡で、独り道を行くとき、ふと後から誰かがつけて来るような足音を覚えることがある。その時は道の片脇へ寄って、
   ベトベトさん、さきへおこし
というと、足音がしなくなるという(民俗学二巻五号)。
ビシャガツク 越前阪井郡では冬の霙雪みぞれゆきの降る夜路を行くと、背後からびしゃびしゃと足音が聴こえることがあるという。それをビシャがつくといっている。
スネコスリ 犬の形をして、雨の降る晩に、道行人の足の間をこすって通るという怪物(備中小田)。
アシマガリ 狸のしわざだという。正体を見せず、綿のようなものを往来の人の足にからみつけて、苦しめることがあるといっている(讃岐高松叢誌)。
ヤカンザカ 東京の近くにも、薬罐坂やかんざかという気味の悪い処があった。夜分独り通ると薬罐が転がり出すなどといっていた(豊多摩郡誌)。
テンコロコロバシ 備前邑久郡のある地に出るという怪物。夜分ここを通るとテンコロがころころと坂路を転がって行くのを見るという。テンコロはきぬたすなわち衣打きぬうち台のことだが、それに使う柄のぐに附いた木槌をもテンコロといっている。又茶碗転ばしの出るという場処もあった(岡山文化資料二巻六号)。
ツチコロビ 小豆洗いの正体は藁打ち槌の形で、一面に毛が生えており、人が通ると転げかかるといっている地方も九州にはあるが(郷土研究一巻五号)、これは野槌などという道の怪との混同らしい。野槌はたけの至って短い槌のような形をした蛇で、道の上を転がって来て通行人を襲うと伝えられ、中部地方の山地にはそれが出るという峠路も多かったというが(飛驒の鳥)、この空想は名称から後に生まれたものと思われる。ツチはミヅチが水の霊であると同様に、本来はただ野の霊というに過ぎなかったことは、古く学者もこれを説いている。しかし現在はこの槌形の怪は全国に弘まり、伯耆中津の山間の村でも、槌転びというくちなわがいて、足もとに転がって来てい付くといっている。
ヨコヅチヘビ 越後南蒲原郡の或堤防の上の路には、以前ヨコヅツヘンビ(横槌蛇)というものがいたという。頭も尾も一様の太さで、ぴょんぴょんと跳ねて動いていた云々(三條南郷談)。
ツトヘビ 又はツトッコという蛇がいるということを、三河の山村ではいい伝えている。あるいは槌蛇とも野槌ともいい、槌の形又はつとの形をしていて、非常な毒を持ち、まれると命がないと怖れられていた(三州横山話)。あるいは又常の蛇が鎌首をもたげて来た所を打つと、すぐにその首が飛んで行ってしまう、それを探してよく殺しておかぬと、後にツトッコという蛇になって仇をするともいっていた(郷土研究三巻二号)。見たという人はあっても、なお実在の動物ではなかった。
タンタンコロリン 仙台で、古い柿の木の化けた大入道だという。柿の実を取らずに置くとこれになったともいうから、コロリンのもとは転がって来るといっていたのであろう。
キシンボウ 肥後では椿の木を擂木すりこぎに用いると、後に木心坊になるというそうである(民族と歴史六巻五号)。古椿が化けて火の玉になったという話は、記録にも二三見えている。以前京都でもいったことである。恐らくこの木は擂木にしなかったのであろう。
ツルベオトシ 釣瓶落し又は釣瓶おろしという怪物が道に出るという話は、近畿、四国、九州にも分布している。井戸の桔槹きっこうというものが始めて用いられた当座、その突如たる運動に印象づけられた人々の、いい始めた名と思われる。この妖怪も大木の梢などから出しぬけに下って来るというので怖れられたのである。あるいは大きな杉に鬼が住んでいて、下を人が通ると金の釣瓶ですくい上げたという話もある(愛知県伝説集)。人をさらうためだけなら金にも及ばなかったろう。何かこれには隠れた意味がありそうである。
フクロサゲ 信州大町の附近には、昔狸が出て白い袋を下げたので、袋下げといっている処がある。田屋の下の飯つぎ転ばしというのも同じ怪であったという(北安曇郡郷土誌稿巻七)。
ヤカンヅル 夜遅く森の中を通ると樹の上から薬罐やかんが下るといっている(長野附近俗信集)。
アブラスマシ 肥後天草島の草隅越という山路では、こういう名の怪物が出る。ある時孫を連れた一人のばあ様が、ここを通ってこの話を思い出し、ここには昔油瓶あぶらびん下げたのが出たそうだというと、「今も出るぞ」といって油すましが出て来たという話もある(天草島民俗誌)。スマシという語の意味は不明である。
サガリ 道の傍の古い榎樹えのきから、馬の首がぶら下るという話のある場処は多い。備前邑久おく郡にも二つまであって、その一つは地名をサガリといっている(岡山文化資料二巻六号)。
ヌリカベ 筑前遠賀おんが郡の海岸でいう。夜路をあるいていると急に行く先が壁になり、どこへも行けぬことがある。それを塗り壁といって怖れられている。棒を以て下を払うと消えるが、上の方をたたいてもどうもならぬという。壱岐いき島でヌリボウというのも似たものらしい。夜間路側の山から突き出すという。出る場処も定まりいろいろの言い伝えがある(続方言集)。
イッタンモメン 一反木綿という名の怪物。そういう形のものが現われてひらひらとして夜間人を襲うと、大隈おおすみ高山地方ではいう。
ノブスマ 土佐の幡多郡でいう。前面に壁のように立ち塞がり、上下左右ともに果がない。腰を下して煙草をのんでいると消えるという(民俗学三巻五巻)。東京などでいう野衾のぶすま鼯鼠むささび蝙蝠こうもりのようなもので、ふわりと来て人の目口を覆うようにいうが、これは一種の節約であった。佐渡ではこれを単にフスマといい、夜中後からともなく前からともなく、大きな風呂敷のようなものが来て頭をつつんでしまう。いかなる名刀で切っても切れぬが、一度でも鉄漿かねを染めたことある歯で噛み切ればたやすく切れる。それゆえに昔は男でも鉄漿をつけていたものだといい、現に近年まで島では男の歯黒めが見られた(佐渡の昔話)。用心深い話である。
シロボウズ 泉州では夜分路の上でこの怪に遭うという畏怖が今もまだ少し残っている。狸が化けるもののようにいうが無論確かな話でない。狐は藍縞あいじまの着物を着て出るというから、この白坊主とは別である。
タカボウズ 讃岐さぬきの木田郡などで評判する怪物。背の途法もなく高い坊主で、道の四辻にいるという。阿波の山城谷などでは高入道たかにゅうどう、正夫谷という処に出る。見下ろせば小さくなるという(三好郡誌)。
シダイダカ 阿波の高入道とよく似た怪物を、長門の各郡では次第高という。人間の形をしていて高いと思えばだんだん高くなり、見下ろしてやると低くなるという。
ノリコシ 影法師のようなもので、最初は目の前に小さな坊主頭で現われるが、はっきりせぬのでよく見ようとすると、そのたびにめきめきと大きくなり、屋根を乗り越して行ったという話もある。下へ下へと見おろして行けばよいという(遠野物語再版)。
オイガカリ 備後の比婆ひば郡などでいう化物の一種。あるいていると後ろから覆いかかって来るものという。
ノビアガリ 伸び上がり、見るほど高くなって行くという化け物。川獺かわうそが化けるのだという。地上一尺ぐらいの処を蹴るとよいといい、又目をそらすと見えなくなるともいう(北宇和)。こういう種類の妖怪の、物をいったという話はかつて伝わっていない。出て来るのではなくて、人が見るのである。
ミアゲニュウドウ 東京などの子供が見越し入道というのも同じもの、佐渡では多く夜中に小坂道を登って行く時に出る。始めは小坊主のような形で行く手に立ち塞がり、おやと思って見上げると高くなり、後には後ろへあおむけに倒れるという。これに気づいたときは、
   見上げ入道見こした
という呪文を唱え、前に打ち伏せば消え去るといい伝えている(佐渡の昔話)。壱岐いきでは東京と同じに見越し入道というが、夜中路をあるいていると頭の上でわらわらとささの音を立てる。その時黙って通ると竹が倒れかかって死ぬから、やはり「見こし入道見抜いた」といわなければならぬといっている(続方言集)。
ニュウドウボウズ 入道坊主、見越し入道のことである。三河の作手村でかつてこれを見たという話がある。始めは三尺足らずの小坊主、近づくにつれて七八尺一丈にもなる。先ずこちらから見ていたぞと声を掛ければよし、向うからいわれると死ぬという(愛知県伝説集)。
ソデヒキコゾウ 埼玉県西部では袖引小僧の怪を説く村が多い。時は夕方路を通ると後から袖を引く者がある。驚いて振り返ると誰もいない。あるき出すと又引かれる(川越地方郷土研究)。
オイテケボリ 置いてけ堀という処は川越地方にもある。魚を釣るとよく釣れるが、帰るとなるとどこからともなく、置いてけ置いてけという声がする。魚を全部返すまでこの声が止まぬという。本所七不思議の置いてけ堀などは、何を置いて行くのか判らぬようになったが、元はそれも多分魚の主が物をいった例であろう。
オッパショイシ 土地によってはウバリオン、又はバウロ石などともいう。路傍の石が負うてくれというのである。徳島郊外のオッパショ石などは、ある力士がそんなら負われいといって負うたらだんだん重くなった。それを投げたところが二つに割れ、それきりこの怪は絶えたと伝えられて、永くその割れた石があった(阿波伝説物語)。昔話の正直爺さんが、取り付かば取り付けというと、どさりと大判小判が背の上に乗ったというのと、系統を一つにする世間話で、実は格別こわくない例である。
シャクシイワ 作州箱村の箱神社の近傍にある杓子岩しゃくしいわは、夜間人が通ると味噌をくれといって杓子しゃくしを突き出したのでこの名があるという(苫田郡誌)。味噌を持ってあるく人もそうあるまいから、これはもと味噌を供えて祭った石かと思われる。
ヒトリマ 火取魔という名はただ一つ、加賀山中温泉の例が本誌に報告せられたのみであるが(民間伝承三巻九号)、路傍に悪い狐がいて蠟燭ろうそくの火を取るという類の話は諸処にある。果してこの獣が蠟燭などを食うものかどうか。あるいは怪物の力で提灯ちょうちんの火が一時細くなるという石川県のようないい伝えが、他にもあるのでないかどうか。確かめてみたい。
ヒヲカセ 火を貸せという路の怪が出る場処が、三河の北設楽郡にはある。昔鬼久左という大力の男が夜路を行くと、さきへ行くおかっぱの女の童がふりかえって火を貸せといった。煙管きせるを揮って打据えようとして却って自分が気絶してしまった。淵の神の子であったろうという(愛知県伝説集)。あるいはこれとは反対に、夜分人が通ると提灯のような火が出て送って来るというような所もあった。ある村の古榎の木の下まで来ると消える。それでその古木をってしまったら出なくなったという(同上)。
ミノムシ 越後では評判の路の怪であるいは鼬のしわざともいう。小雨の降る晩などに火が現われてみのの端にくっつき、払えば払うほど全身を包む。ただし熱くはないという(西頸城くびき郡郷土史稿二)。信濃川の流域にはこの話が多く、あるいはミノボシともいう。多人数であるいていても一人だけにこの事があり、他の者の眼には見えない(井上氏妖怪学四七九ページ)雨のしずくが火の子のように見えるのだともいう(三條南郷談)。越前坂井郡でも雨の晩に野路を行くとき、笠のしずくの大きいのが正面に垂れ下り、手で払おうとすると脇へのき、やがて又大きい水玉が下り、次第に数を増して眼をくらます。狸のしわざといい、大工と石屋とにはつかぬというのが珍しい(南越民俗二)。秋田県の仙北地方で蓑虫というのは、寒い晴れた日の早天に、蓑やかぶものの端についてきらきら光るもので幾ら払っても尽きないというから、これは火ではない(旅と伝説七巻五号)。利根川図誌に印旛沼のカワボタルといっているのは、これは夜中に出るので火に見えた。これも越後のミノムシと同じものだろうといっている。
キツネタイマツ 狐火と同じものらしいが、羽後の梨木羽場という村では、何か村内に好い事のある際には、その前兆として数多く現われたといっている(雪の出羽路、平鹿郡十一)。どうして狐だということが判ったかが、むしろより大きな不思議である。中央部では普通に狐の嫁入というが、これは行列の火が嫁入と似ていて、どこにも嫁取がないからそう想像したのであろうが、それから更に進んで、狐が嫁入の人々を化かし、又は化けて来たという話も多くできている。
テンピ 天火。これはほとんと主の知れない怪火で、大きさは提灯ほどで人玉のように尾をかない。それが屋の上に落ちて来ると火事を起こすと肥後の玉名郡ではいい(南関方言集)、肥前東松浦の山村では、家に入ると病人ができるといって、しょうをたたいて追い出した。あるいはただ単に天気がよくなるともいったそうである。
トビモノ 光り物という言葉は中世にはいろいろの怪火を呼んでいる。この中には流星もあり、又もっと近い処を飛ぶ火もあった。茨城県北部では現在も飛び物といっている。菎蒻玉こんにゃくだまが飛びものになって光を放って飛ぶことがあるという。山鳥が夜飛ぶと光って飛びものとまちがえることがあるともいう。京都でも古椿つばきの根が光って飛んだという話などが元はあった。
ワタリビシャク 丹波の知井の山村などでは光り物が三種あるという。その一はテンビ、二は人ダマ、三はこのワタリビシャクで蒼白い杓子形ひしゃくがたのものでふわふわと飛ぶという。名の起りはほぼ明らかだが、何がこれになるのかは知られていない。
トウジ 暴風雨中に起こる怪光をトウジという(土佐方言の研究)。不明。
ゴッタイビ 鬼火おにびのことという(阿山郡方言集)。
イゲボ 伊勢度会わたらい郡で鬼火をイゲボという。他ではまだ耳にせぬので、名の由来を想像しがたい。
キカ 薩摩の下甑島しもこしきじまで火の玉のことだという。大きな火の玉の細かく分れるものという。鬼火の漢語がいつの間にか、こんな処に来て土着しているのである。
ケチビ 土佐には殊にこの話が多い。たいていは人の怨霊の化するものと解せられている(土佐風俗と伝説)。竹の皮草履を三つたたいてべば近よるといい(郷土研究一巻八号)、又は草履の裏に唾を吐きかけて招けば来るというのは(民俗学三巻五号)、もとは人の無礼をゆるさぬという意味であったらしい。佐渡の外海府そとかいふにも人魂ひとだまをケチという語がある。
イネンビ 沖縄では亡霊を遺念と呼び従って遺念火の話が多い(山原の土俗)。二つの注意すべき点は、たいていは定まった土地と結び付き、そう自由に遠くへは飛んで行かぬことと、次には男女二つの霊の火が、往々つれ立って出ることである。これは他府県でもよく聴く話で古い形であろうと思う。ただし亡霊火と現在よばれているのは、専ら海上の怪火のことで、これは群をなし又よく移動する。
タクラウビ 備後御調郡の海上に現われるという怪火で、火の数は二つというから起こりは「比べ火」であろう。芸藩通誌巻九九に見えているがこの頃はもういわぬようである。芸備の境の航路には又京女郎筑紫女郎という二つの婦人の形をした岩の話などもあって、もとは通行の船の信仰から起こったことを想像せしめる。
ジャンジャンビ 奈良県中部にはこの名をもって呼ばれる火の怪の話が多い。飛ぶときにジャンジャンという音がするからともいう。火は二つで、二つはいつまでも逢うことができぬといい、これに伴のうて女夫みょうと川・打合い橋などの伝説が処々にあった(旅と伝説八巻五号)。柳本の十市とおち城主の怨霊の火と伝うるものは、又一にホイホイ火ともいう。人が城址の山に向かってホイホイと二度三度喚ぶと、必ずジャンジャンと飛んで来る。これを見た者は病むというから(大和の伝説)、そうたびたびは試みなかったろうが今でも至って有名である。
ボウズビ 加賀の鳥越村では坊主火という火の玉が、飛びあるくことが有名である。昔油を売る男が悪巧みをして鬢附びんつけをますの隅に塗って桝目を盗んだ。その罰で死んでからこの火になったといっている(能美郡誌)。しかし油商人なら坊主というのは少しおかしい。
アブラボウ 近江野洲郡の欲賀ほしかという村では、春の末から夏にかけて夜分に出現する怪火を油坊という。その火の焔の中には多くの僧形を認めるといってこの名がある。昔比叡山の僧侶で燈油料を盗んだ者の亡霊がこの火になったと伝えられる(郷土研究五巻五号)。河内枚岡ひらおかのお社に近いうばが火を始めとしてこの怪し火には油を盗んだ話がよく附いている。あるいは民間の松の火が、燈油の火に進化した時代に、盛んにこの空想が燃え立った名残かも知れぬ。越後南蒲原みなみかんばらのある旧家に昔アブラナセという妖怪がいて家の者が油を粗末に使うとすぐに出て来てアブラナセ、すなわち油を返済せよといったという話がある(三條南郷談)。鬼火ではないがこれと関係があるらしい。以前は菜種はなく皆胡麻ごま油であった。つまり今日よりも遙かに貴重だったのである。
ゴンゴロウビ 越後本成村には、五十野ゴジュウナの権五郎という博徒が、殺された遺念といってこの名の火の燃える場処がある。今では附近の農家ではこれを雨の兆とし、この火をみると急いで稲架はさを取り込むという(三條南郷談)。
オサビ 日向の延岡附近の三角池という池では、雨の降る晩には筬火おさびというのが二つ出る。明治のなかばまでは折々これを見た人があった。昔二人の女がおさを返せ返したで争いをして池に落ちて死んだ。それで今なお二つの火が現われて喧嘩をするのだと伝えている(延岡雑記)。二つの火がいっしょに出るという話は、名古屋附近にもあった。これは勘太郎火と称してその婆と二人づれであった。
カネノカミノヒ 伊予の怒和ぬわ島では大晦日おおみそかの夜更に、氏神様の後に提灯のような火が下り、わめくような声を聴く者がある。老人はこれを歳徳神が来られるのだというそうである。肥後の天草島では大晦日の真夜中に、金ン主という怪物が出る。これと力くらべをして勝てば大金持になるといい、武士の姿をして現われるともいった(民俗誌)。多くの土地ではこれは一つの昔話だったようである。夜半に松明たいまつをともしてたくさんの荷馬が通る。その先頭の馬をれば黄金だったのに、気おくれがして漸く三番目の馬を斫ったら、荷物は全部銅銭であって、それでも結構長者になったなどといっている(吾妻昔物語)。
ヤギョウサン 阿波の夜行様という鬼の話は民間伝承にも出ている(三巻二号)。節分の晩に来るひげの生えた一つ目の鬼といい、今はおどされるのは小児だけになったが、以前は節分・大晦日おおみそか庚申こうじんの夜の外に、夜行やぎょう日という日があって夜行さんが、首の切れた馬に乗って道路を徘徊はいかいした。これに出逢うと投げられ又は蹴殺される。草鞋わらじを頭に載せて地に伏していればよいといっていた(土の鈴一一号)。夜行日は拾芥抄しゅうかいしょうに百鬼夜行日とあるのがそれであろう。正月はの日、二月はうまの日、三月はの日と、月によって日が定まっていた。
クビナシウマ 首無し馬の出て来るといった地方は越前の福井にあり、又壱岐いき島にも首切れ馬が出た。四国でも阿波ばかりでなくそちこちに出る。神様が乗って、又は馬だけで、又は首の方ばかり飛びまわるという話もある。

 示現諸相の中でも、最も信者の少ない妖怪のいい伝えは、実在の言葉で採録しておくより他に、その形体を把捉するの途がないので、諸君の力を借り、できるだけ多くの名と説明とを集めてみようとするのである。まだなかなか続きそうなので、これからは時々中絶するつもりであるが、中絶しても蒐集をやめているのではない。五十音順にでも整理しておいて、なお続々不足を補われんことを希望する。

  • :妖怪名彙
  • :柳田國男
  • 『妖怪談義』(講談社学術文庫) 柳田國男 講談社 1977
  • :『民間伝承』三巻十号、『民間伝承』三巻十一号、『民間伝承』三巻十二号、『民間伝承』四巻一号、『民間伝承』四巻二号、『民間伝承』四巻六号 1938-1939
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