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「小豆洗い」中山太郎(清水時顕)

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 小豆洗あずきあらいと云う怪談は各地にある。(一)夜分に或る橋を通ると橋の下で小豆あずきを洗うような音がすると云うのが普通のもので、少し変わったものは(二)小豆洗いと云う狐がんで居て人にくと云うのと、(三)藁槌わらづちのような形で一面に毛がえている化物ばけものであると云うのである。第一のは紀州熊野辺にあると云うおくすずめの類とも思われる。第二第三は更に少し工夫くふうが加えられたもののようだ。小豆あずきに関する禁厭まじないの話は沢山たくさんにあるが、小豆洗いの怪とは直接関係の無いことでもあるから略すとして、玆に注意すべき点は何が故に小豆を洗うと云うことだけを採用したかの一事である。稀には米炊こめかしぎとか大豆洗だいずあらいとか云うのがあってもいように思うが、小豆洗いの外には余り聞いたことも聴いたことも無い。勿論、禁厭まじないに小豆を用いることが他の米、粟、稗、大豆等よりも有力で且つ場合が多かったので、自然と小豆洗いのみがはばかすようになったのであろう。こんなことを考えていながら読書していると、小豆洗いの正体に朧げながらもやゝ眼鼻めはながついて来た。新編常陸国志巻四に、水戸青物町より裏五丁目に入る辺にあずき洗い橋と云うがある。事蹟雑纂に厚木洗あつきあらい橋なり、俗に小豆洗いと云う狐むと云うは誤りである。凡そ新たに渡す橋は土橋どばしにて、土橋の上に土を覆いたるを雨にて洗いたるを斯くは云うのである。同果町どうはてまちの土橋もあずき、、、洗いの名がある云々。是に依ると小豆洗いとは化物ばけものでは無くして橋の名と云うことになる。然しながら小豆洗いと云う化物がは橋にばかり出るものと定まっていれば、此説でも解釈せられぬことも無いが、万一にも石橋いしばしなり板橋いたばしなり更に丸木橋まるきばしなりに出るものとすれば、此説は誠にたよりにならぬいた話である。紀伊続風土記巻九名草郡小豆島村の条に、小豆島村は田屋村のの方六町余にある。按ずるに小豆は借字にて阿豆とよぶは㘱の字にて崩岸ほうがんである。新撰字鏡土の部に㘱は土甘土泔二反崩岸なり、久豆礼くずれ阿須あすとある。万葉集十四巻東歌に安受乃宇敞爾古馬乎都奈伎底安夜保可等比都麻都古呂乎伊吉爾和我須流アスノウヘ二コマヲツナギテアヤホカトヒトマツコロヲイキニワカスル、又安受信可良古麻乃由胡能須安也波刀文比登豆麻古呂乎麻由可西良布母アスベカラコマノユコノスアヤハトモヒトツマコロヲマユカセラフモ、此二首の阿須あすも崩岸にて危なき意である。 亦大和国のあすか河は歌に淵瀬ふちせの変りやすきことに云えるも同じ意で崩岸処あすかの意たるべし。当国新宮の阿須加あすかも海口に近き地たれば同義であろう云々とある。之に依ると小豆は崩岸の仮字で、ハケ・ホケ・ガケと云うような地形の名と云うことになる。此解釈によって始めて小豆洗いと云う化物が好んで橋のある所へ出没する理由も判明し、いて地名の安土山あつちやま又は安土町あつちまちの由来も釈然とするように思う。たしか越前名蹟志に小豆峠あずきとうげと云う地名の解釈として、峠のいただきに人の姿を見てから小豆をしかけ、それがえるころに麓にくので此名があると記してあったかと思うが、或は此小豆峠もガケ即ち崩岸の意から出たのでは無かろうか。

  • :小豆洗い
  • :中山太郎(清水時顕)
  • 『怪異の民俗学』2 妖怪 小松和彦 責任編集 河出書房新社 2000
  • :『郷土研究』第三巻 第十二号 1916
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