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「河童をヒヤウスベと謂うこと」毛利龍一

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 予が家は代々河童の主たる渋江氏を祀れる佐賀県杵島郡橘村潮見の潮見神社の神職であるから、本誌第二巻第三号の河童の話は非常な興味を以って之を読んだ。潮見神社の祭神は橘諸兄橘奈良麿橘公業橘島田麿及橘朝臣渋江等の橘氏一族で、末社として別に梅宮がある。奈良の都の御苑の種と称する橘樹(通常の柑橙とは異なり)は、今も千古の緑を誇って居る。往昔此地を島見郷と称えた時、橘奈良麿橘公世を忍んで奈良崎と云う所に下向せられ、乃ち此社を奉祀せられた。此が吾社の縁起である。水虎の話の薩摩日向辺にも及んで居るのは、或は橘公業が嘗て種子島を領して居た際からの事ではあるまいかと思う。
 我神社は其西南東の三方を潮見川が環り流れて居るのに、古来曾て一人の水難に罹った者が無いのは奇妙である。其由来は社の側に河童の誓文石と云う石があって、昔渋江氏は河童に対し、若し此石に花咲く時もあらば、汝等に人一人獲らせて遣わすが、さ無き限は人を襲い危害を加えてはならぬと約束を取結ばれた。河童は其後朝夕此石の上に来て見ても、一向花の咲く様子が無いから、之を悲しんでヘウヘウキイキイ泣いたものだと言伝えて居る。渋江氏は毎年五月五日には筍を彼等に馳走せられた。是れ即ち水神すいじんに筍を供する由来である。
 此水神宮を奉祀する橘氏の直系の子孫に渋江益見と云う人がある。今は会計検査院に務め小石川区小日向台町二ノ二六に寄留して居られる。かの東京帝国大学の小鹿島系図と渋江系図とは、右渋江氏の家宝を伝写した者である。其他にも尚有力なる古文書など沢山に所持して居られる筈である。夫に就て研究せば楠木氏の歴史にも大なる光明を放つことがあるかも知れぬ。
 さて水虎の由来を考証すべき資料は、北肥戦志に優るものはあるまいと思う。北肥戦志は一名を治乱記とも謂い、古事類苑にも採録せられて居ると云う。爰に其一節を抄出すれば、「抑ゝ彼の塩見城主渋江家の先祖を如何にと尋ねるに、人王三十一代敏達天皇には五代の孫、左大臣橘諸兄の末葉なり。此の諸兄才智の誉世に高く、聖武天皇の御宇既に政道の補佐たりしより後、其孫従四位下兵部大輔島田丸猶朝廷に仕え奉る。然るに神護景雲の頃、春日の社常陸国鹿島より今の三笠山へ移らせ給うの時、此島田丸匠工の奉行を務めけるに、内匠頭何某九十九の人形を造りて匠道の秘密を以て加持したる程に、忽ち彼の人形に火便り風寄りて童の形に化し、或時は水底に入り或時は山上に到りて神力を播し、精力を励し被召仕ける間、思の外大営の功早速成就成りけり。斯て御社の造営成就の後、彼の人形を川中に皆屑り捨けるに、動く事尚如前、人馬六蓄を侵して甚世の禍と成りけり。今の河童是也。此事称徳天皇遥に叡聞ましまし、其時の奉行人なれば兵部大夫島田丸急ぎ彼の化人の禍を鎮め可申旨詔を被下けり。斯て兵部大夫勅令を蒙り、則其趣を河中水辺に触廻りしかば、其後は河伯の禍なかりけり。従是して彼の河伯を兵主部と名く。主は兵部と云う心成べし。夫より兵主部を橘氏の眷属とは申也」。
 故井上頼圀が校訂刊行せられた「さへづり草」松の葉の巻三九頁に、「日薩の土人又水虎の一名をヒヤウスヘと云ふ。こは土俗菅神の御詠也と云伝ふる歌に、ヒヤウスヘに約束せしを忘るなよ川立男氏も菅原。(阪本氏説には初五文字いにしえにとあり)ヘウスヘは此歌によりて起れる一名ならん。さて肥前諫早に兵揃村あり。こゝに天満宮の社ありてそを守る神人渋江久太夫と云へる者、水虎の災を除く符を出す由、笈埃随筆に見えたり。雀菴案ずるに、氏は菅原の歌、管神の御詠と云へるはいと覚束なし。恐らくは渋江氏の代詠などにもやあらん。しかは云へれど此の歌によりて水虎の一名も起りたれば、いと古き偽詠なるべし。又按ずるにヒヤウスヘは兵揃にて、ソロの約ソなるをスに通はしてヒヤウスヘとはいるなるべし」とあるが、我毛利家にも代々水難除の歌として「ヘウスベよ約束せしを忘るなよ川立おのがあとはすがわら」と云い伝えて居る。両々対比して頗る興味有る古伝である。又予が奉仕の神社には、肥州長崎村渋江水神宮と銘したる四角形の方五寸ばかりの鈴が神宝として伝えてある。所謂兵揃村の渋江氏も予の奉仕神社と関係あることが知られる。
 按ずるに過のヒヤウスベは右の兵部大夫島田丸の故事を以て其名の起りとするを至当と思う。又かの歌は「兵主部よ約束せしを忘るなよ川立おのが跡は素川原」の意にして、誓文石の故事とも符号して居る。我地方では河童は大工の弟子だと言う。即ち亦島田丸の故事に因めるを知るべく、土地の風習として水難を除ける為、大工の墨打する器の糸を貰い受けて、小供の足に纏う習慣があるのも、それ等に原因することかと思う。猶各地の研究者が追々と新しい資料を提供せられんことを望むのである。

  • :河童をヒヤウスベと謂うこと
  • :毛利龍一
  • 『怪異の民俗学』3 河童 小松和彦 責任編集 河出書房新社 2000
  • :『郷土研究』第二巻 第七号 1914
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