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逢魔時

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【おうまがとき】

 日本に伝わる怪異。

逢魔時の概要

 夕暮れの薄暗い時間のこと。黄昏時。
 逢魔時から夜明けまでの時間帯は、魔が活動するとか、禍が起こりやすいといわれている。

逢魔時
黄昏をいふ 百魅の生ずる時なり 世俗小児を外にいだす事を禁む 一説に王莽時とかけり これは王莽前漢の代を簒ひしかど 程なく後漢の代になりし故 昼夜のさかひを両漢の間に比してかくいふならん

『今昔画図続百鬼』上之巻 雨 鳥山石燕 1779

 そこで話はきつすいの晩方のオバケから始めなければならぬのだが、夕をオホマガドキだのガマガドキだのと名づけて、悪い刻限と認めていた感じは、町では旣に久しく亡びて居る。私は田舎に生れ、又永い間郊外の淋しい部落に住んで居る爲に、まだ少しばかりこの心持を覺えて居る。古い日本語で黄昏をカハタレと謂ひ、もしくはタソガレドキと謂つて居たのは、ともに「彼は誰」「誰ぞ彼」の固定した形であつて、それも唯單なる言葉の面白味以上に、元は化け物に對する警戒の意を含んで居たやうに思ふ。現在の地方語には、これを推測せしめる色々の稱呼がある。例へば甲州の西八代で晩方をマジマジゴロ、三河の北設樂でメソメソジブン、その他ウソウソとかケソケソとか謂つて居るのは、何れも人顏のはつきりせぬことを意味し、同時に人に逢つても言葉も掛けず、所謂知らん顏をして行かうとする者にも、これに近い形容詞を用ゐて居る。歌や語り物に使はれる「夕まぐれ」のマグレなども、心持は同じであらう。今でも關東ではヒグレマグレ、對馬の北部にはマグレヒグレといふ語がある。東北地方で黄昏をオモアンドキと謂ふのも、やはりアマノジャクが出てあるく時刻だといふから、「思はぬ時」の義であつたらしく考へられる。
 村では氣をつけて見るとかういふ時刻に、特に互ひに挨拶といふものを念入れて、出來る限り明確に、相手の誰であるかを知らうとする。狹い部落の間ならば、物ごし肩つきでも大抵はすぐに判る筈だが、それでも夕闇が次第に深くなると、さうだと思ふが人ちがひかも知れぬといふ、氣になる場合が随分ある。最も露骨なのが何吉かと呼んで見たり、又はちがつてもよい積りで、丁寧に「お晩でございます」と謂つたりする。それもしないのはもう疑はれて居るので、旣ち所謂うさん臭いやつである。だからこの樣な時刻に里を過ぎなければならぬ他所者は、見られる爲に提灯を提げてあるく。その前は恐らく松の火であつたろう。見馴れぬ風體で火も無しにあるくといふのは、化け物でなくともよくない者にきまつて居る。さう取られても致し方の無い所に、旅の夕のかなしさといふものは始まつて居る。それがこの節は町の子供などに、もう提灯は火事か祝賀會か、涼み舟ぐらゐの聯想しか浮ばなくなつた。さうして又白晝にも知らぬ人同志が、互ひにウソウソと顏を見てすれちがふやうになつた。化け物の世界も一變しなければならぬわけである。

『日本評論』十一卷 三號 1936
【底本】『妖怪談義』(現代選書): 17-19ページ 柳田國男 修道社 1956


『今昔画図続百鬼』上之巻 雨「逢魔時」 鳥山石燕 1779

主な参考資料

[文献]
『妖怪談義』(現代選書): 17-19ページ 柳田國男 修道社 1956
『鳥山石燕 画図百鬼夜行』: 108-109ページ 高田衛 監修、稲田篤信 田中直日 編 国書刊行会 1992
『妖怪事典』: 68ページ 村上健司 毎日新聞社 2000

白沢

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