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安達ヶ原の鬼婆

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【あだちがはらのおにばば】

 福島県に伝わる鬼婆。

安達ヶ原の鬼婆の概要

 京都の公家屋敷で岩手という乳母が奉公していた。屋敷には環の宮という姫がいたのだが、彼女は病気に罹っていた。岩手は、姫の病を治すには赤ん坊の肝が必要だと聞き、放浪して安達ヶ原にたどり着いた。
 安達ヶ原の岩屋で暮らしていると、ある日、産気づいた女が宿を求めてきた。これはよい機会だと思った岩手は、女の腹を裂いて赤ん坊を取り出した。だが、女を殺してから岩手は気がついた。自分が殺したその女は、自分の実の娘だったのである。
 この出来事によって岩手は気が狂ってしまい、それ以来、岩屋を訪ねてくる旅人を殺害しては血を飲んだり肉を食らったりする鬼婆になってしまった。

 あるとき、東光坊祐慶という紀州熊野の僧が、岩手のいる岩屋に宿を求めてきた。岩手はいつものように僧を殺してしまおうとしたのだが、祐慶は寝室で散乱する死体を見つけ、岩手が鬼婆であることを察して逃げ出した。
 岩手は包丁を手に祐慶を追う。必死に逃げる祐慶は、自分が背負っていた如意輪観音に祈った。すると、岩手は突然の落雷によって死んでしまった。
 危機を脱した祐慶は、岩手の遺骸を埋めて弔い、そばに寺を建立した。それが安達ヶ原にある観世寺なのだという。
 阿武隈川沿いには鬼婆の墓とされる「黒塚」が現在も残っている。

〇黒塚
奥州安達原にありし鬼 古歌にもきこゆ

『画図百鬼夜行』前篇 陽 鳥山石燕 1776

 以上は福島県の安達ヶ原に伝わる話だが、埼玉県にも同様の伝説が「黒塚の鬼婆」として残っていた。こちらは足立ヶ原という地を舞台にしており、『諸国里人談』はこの伝説こそが本家の黒塚であるとしている。


『画図百鬼夜行』前篇 陽「黒塚」 鳥山石燕 1776


『奥州安達がはらひとつ家の図』 月岡芳年 1885

主な参考資料

[文献]
『鳥山石燕 画図百鬼夜行』: 63ページ 高田衛 監修、稲田篤信 田中直日 編 国書刊行会 1992
『妖怪事典』: 16ページ 村上健司 毎日新聞社 2000

白沢

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